関心がなければ、
見えない
6つの視点を知った。バスケ特有の観察ポイントも分かった。
でも、それだけでは足りない。
最も大切なことが一つ、残っています。
技術は、関心をもっていないと見えない。
体験は関心をもたなければ見えないものであり、
関心をもつことによって初めて、そこに何かが見えてくる。
これが「技術を見る目」を磨く、最善にして唯一の方法。
「見る目がない」のは、才能の問題ではない。関心の問題です。
同じ練習を見ていても、関心の有無で見えるものが全く違う
重心の移動に関心を持てば、重心の移動が見えてくる。もらい足に関心を持てば、もらい足が見える。ボールの回転に関心を持てば、回転が見える。
逆に、関心を向けていないものは、目の前で起きていても見えない。10年間同じ練習を見ていても、関心がなければ何も発見できません。
経験年数とは無関係です。コーチ1年目でも、正しい観察視点と強い関心があれば、10年のベテランが見逃しているものが見える。
関心を持ち続けているコーチの体育館には、独特の静けさがあります。怒鳴り声ではなく、具体的な言葉が飛ぶ。選手が自分で気づき始める。「コーチ、今のもらい足ずれてましたよね」。そういう会話が自然に生まれる。
ある指導者は、国際大会の選手を観察して独自の技術を発見した。
「ひねり足」「しのび足」「たて足」「上目」。
誰でも見られる場面。でも見えたのは、関心を持っていた人だけ。
差異点を見つける目は、関心の密度で決まる。
「単なる知識」と「確信している知識」
コーチの成長を考える上で、避けて通れない問題がもう一つ。
知識には3つの段階があります。
一つ目。知っているだけの知識。本で読んだ。動画で見た。でも自分で試したことはない。
二つ目。理解している知識。経験に裏打ちされている。自分で試して効果を確認した知識。
三つ目。心の底から確信している知識。自分の指導の核。迷いなく選手に伝えられる知識です。
「単なる知識」と「確信している知識」の差は、
指導の現場では決定的。
信じていない知識は、指導の力にならない。
他人の指導法をそのまま借りても、選手には伝わらない。
自分で体験し、理解し、確信した知識だけが伝わる。コーチの成長は、量を増やすだけでは足りません。知識を「確信」にまで深めるプロセスが必要です。
コーチの成長は、知識を「確信」にまで深めるプロセス
「再反応」の柔軟性
指導が効かないとき、同じ説明を繰り返す。これは怠慢ではなく、伝え方の引き出しが足りないということ。
選手がすぐにできないのは当たり前。身体がまだその動きを知らないのだから。
必要なのは別のアプローチ。言葉を変える。角度を変える。比喩を使う。やって見せる。
「再反応」とは、指導が伝わらなかったときに別のアプローチで再び働きかけることです。この再反応の柔軟性こそ、指導者の腕の見せどころ。同じ説明を繰り返しても、結果は変わりません。
三位一体
よき技術指導者の条件は、結局、三位一体に集約されます。
コーチのフィロソフィ × 指導の努力 × ファイト。
フィロソフィは借り物ではだめ。自分で築くもの。指導の努力は1分でも多く技術的課題の研究に充てること。ファイトは諦めない粘り強さ。
その根底にあるのは、「その競技に接せよ」という一言に尽きます。
コーチのフィロソフィは、人生の早い時期にその基礎が作られる。
しかしその後の体験や経験によって修正されながら形づくられるもの。
他のコーチから借りてくることのできない、独自のもの。
でも、努力により発展させることができる。
フィロソフィ × 指導の努力 × ファイトの統合
結果がどう出ようと、それによって動じるか、不動のままでいられるか?
これは個人のフィロソフィの問題です。そしてそのフィロソフィは、今この瞬間からでも磨ける。